皆様から見て今の福島県ならび双葉町の状況はいかがですか。

菅野

場所によって、復興が進んでいたりいなかったり、さまざまだなと思いました。私は福島県浜通りの出身です。自分が暮らしていた場所も震災当時は双葉町と同じような状況でしたが、現在は復興が進んでいることを実感できます。しかし双葉町に来てみて、これから復興へと歩み出そうとしている場所があることを知ることができました。

小松先生

令和3年度に実施された双葉町の帰還意向調査では、「戻りたいと考えている」人よりも「戻らないと決めている」人が多いという調査結果がでています。まずは双葉町に戻りたいと考えている方が戻れるように生活基盤が整備されること。併せて、新たな町の在り方も探っていく必要性を感じます。こうした点についても、デザインの立場から貢献したいと考えています。

郡山女子大学短期大学部地域創生学科の皆さん

これからの福島県ならびに双葉町に向けて、皆様からお気持ちをお聞かせください。

西塚

私は新潟県中越生まれで中越地震を経験しています。福島県以外にも災害に見舞われた地域があります。被災地を訪問して、実際の状況を知ることの大切さを感じました。今回、初めて双葉町を訪問し、とても学ぶことが多かったです。これからも復興の歩みを見て、学んでいきたいと思います。

久保田

私は浪江町出身です。浪江町の復興も進んでいますが、戻ってくる人はまだまだ少ないです。人が戻ってくるにはもう少し時間が必要かと思いますが、暮らしやすい町になってくれればいいと思います。

佐藤(祐)

東日本大震災を知らない若い世代がたくさんいます。福島県や双葉町の状況について、報道される内容以上に知ってもらいたいと思います。

佐藤(和)

実際に双葉町を訪問することで学ぶことが多かったです。ふたたび双葉町を訪れて、復興の歩みを見ていきたいです。私は県内の就職が決まっているので、これからも復興に向けた活動に携わっていきたいと思います。

菅野

復興には周りの人たちの理解・関心も高めていくことが重要だと思います。今回のプロジェクトが、そのきっかけになればと思います。
私は学芸員になるための勉強をしています。福島県立博物館へ見学に行ったときに、津波で流された標識が資料として残されていました。復興も大事ですが、震災当時の記録を残して後世に伝えていくことも考えなければいけません。震災を忘れないように、遺すべきものも考えていかないといけないと思います。

小松先生

プロジェクト自体が「Plant Seeds for the F」という大きなキーワードを掲げています。Fは、福島県であり、双葉町、そしてFuture(=未来)。大地に種を撒き、育むような活動をしていきたいという想いを込めています。
福島県、双葉町が歩んできた10年は、大地を耕すような期間であったと思います。生活基盤であるハード面を整え、そこに人が暮らせる場所を築くための時間でした。これからは耕した大地に種を撒き、育むような活動も一層必要になると考えました。まだまだハード面の復興も充分ではありませんが、人が町を行き交い、つながる活動も進めていこうというメッセージです。「つなぐデザインプロジェクト」も、その種の一つになれるように育てていきたいと思います。

私も環境省さんと一緒に仕事をする中でいろいろな課題について理解を深めているところです。その中の一つとして中間貯蔵施設の問題があります。2045年までに中間貯蔵施設に貯蔵されている除去土壌などを県外へ廃棄することが決められています。資源化・再生利用の取り組みも進められていますが、県外最終処分に向けては県内外の方々の理解が必要となるでしょう。2045年には、この学生たちや10代20代の若者世代が社会の中心を担っています。この問題の解決のためには、今の若い世代に福島について知ってもらわなければいけないと思います。東日本大震災や復興にかかわる問題について関心を持って一緒に考えていきたいと思います。

ただし、若い世代の人たちに問題を背負わせるのではなく、彼女たち彼らたちにとって福島県が学びのフィールドとなり、自分の興味・関心を深められる機会になれば良いと思っています。