1中間貯蔵施設
最初に訪れたのは、福島県内の除染作業で発生した除去土壌や廃棄物を一時的に保管するための中間貯蔵施設。双葉町と大熊町の皆様の大切な土地をご提供いただき運営されています。敷地内には、東日本大震災で被災した家屋や神社、学校、車など、当時の生活の様子がそのまま残されているところもありました。
施設の見学を行う中で、担当者から「両町民の苦渋の決断でこの施設の運営が可能になっています。そしてこの施設ができたことによって、福島県全体の復興が大きく進みました」と、あらためて、町民一人ひとりの決断の意義深さを伝えられる場面もありました。
除染が始まって以降、ピーク時には、1日に延べ3,000台のダンプがここに除去土壌を運んでいたといいます。事業が進んできている現在、除去土壌を分別している施設はだんだんとその役割を終えており、8ヶ所中4ヶ所が現在解体中となっています。福島の復興が新しいステージに向かっていく様子を、参加者たちは感じ取っていました。
参加者コメント
2東日本大震災・原子力災害伝承館
東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所での事故の記憶を後世に伝えるべく、2020年にオープンした伝承館。参加者たちはまず、施設内のシアターで福島県と原子力発電所や事故当時の映像を鑑賞し、2011年に起きた災害の大きさに思いを馳せました。
大きなモニターを使用した展示をはじめ、地震の発生した時刻で止まった時計や、学校に残された下足、流されたポスト、曲がった標識など、当時の被害の様子を生々しく伝える展示が多く、立ち止まってじっと見つめる参加者も少なくありませんでした。
参加者の一人は「祖母が元々避難区域となったエリアで暮らしていましたが、今は避難して一緒に暮らしています。『すぐ戻れると思っていた』とよく話していますが、展示を見て、多くの人がそうした感覚だったのだろうと考えさせられました」と、震災でそれまでの暮らしを失った避難者の方々の苦労をあらためて想像していました。
参加者コメント
3座談会@linkる大熊
大熊町の交流施設・ linkる大熊では、「いま私たちが福島について知り、伝えたい10のこと」をテーマに座談会が行われました。各ツアーの参加者が集まり、10のグループに分かれてそれぞれディスカッション。ツアーで経験したことをもとに活発な議論が行われました。ゲストにはお笑い芸人の小島よしおさんが参加し、会場を盛り上げました。
第8班は、学生や福島県内で自営業を行う方など、さまざまな参加者が集まる中で、「どうやったら福島に人が戻ってくるか」をテーマに意見を交換。「ロケットを飛ばす」「名物グルメを作る」という他県の事例を参考にしながら、「福島ならでは」という観点で、震災・原発の被害という「かげ」があるからこその「光」という特徴を活かした方がいいのではないかという意見が出ました。
8班が導き出したのは、「かげの部分をポジティブに変える」という結論。「かげ」の表記については、小島よしおさんから「ひらがなにすることで、いろいろな意味を含むことができるのではないか」と助言があり、ひらがな表記にすることになりました。
発表では、ネガティブな部分のみに注目するのではなく、被害があったからこそ発生した復興への取り組みに付加価値をつけたり、ブランド化したり、観光スポット化していき、それをポジティブに伝えていくのが大事なのではないかとまとめていました。
参加者コメント
4双葉町
東日本大震災によって、全ての町民が長年にわたり避難生活を余儀なくされてきた双葉町。参加者たちはツアー2日目、駅前に完成した町役場の新庁舎や公営住宅の建設現場、更地の残る駅前などを巡り、震災当時の状態が残る双葉南小学校を見学しました。
2022年8月に町全体の11%のエリアの避難指示が解除される(ツアー時は避難指示が継続中。現在は解除済み)双葉町では、人々が戻ってくるための町の復興への取り組みが急ピッチで進んでいます。双葉町役場の橋本靖治さんは、「駅前のエリアを『特定復興再生拠点区域』として、このエリアを中心に町の復興をスタートしたいと考えています。コンパクトなまちづくりが目標です」と参加者たちに説明。また、更地になっている場所の多くは建物の解体を選んだ住人が多くいるということであり、住民の一人ひとりが辛い思いをして決断したことで、町は少しずつ復興に進んでいるのだと強調しました。
10月から入居が始まる新しい公営住宅や町中に描かれたウォールアートを見ながら、参加者たちは小学校に到着。ランドセルや教科書などの一部を除き、教室には震災発生時の様子がそのまま残されていました。橋本さんは、「避難先の学校になじめず、苦労した子どもたちも多くいたと聞いています。ここに通っていた子どもがどんな思いで避難して、それからどう過ごしたのか、同情ではなく、共感してほしい」と参加者たちに伝えました。
参加者コメント
5道の駅なみえ
2日目のお昼は浪江町にある道の駅なみえにて休憩。参加者は思い思いの場所で自由時間を過ごしました。
道の駅なみえでは、お土産の販売やフードテラス、陶芸体験、酒造見学が可能となっていて、普段から多くの人で賑わっているそう。また、町内に立地する世界最大級の再生可能エネルギーを利用した水素製造の実証施設であるFH2Rの水素を利活用し、道の駅施設内では水素燃料電池による発電も実施。川沿いに並ぶ大きな水素タンクからは、今後の水素利活用のさらなる展開が期待されます。
参加者コメント
6大熊町
双葉町、浪江町の隣町である大熊町。双葉町とともに、事故が発生した福島第一原子力発電所が立地する場所でもあります。今回のツアーでは、おおくままちづくり公社の山崎大輔さんと片岡翔さんの案内のもと、KUMA・PURE(クマプレ)、インベキューションセンター、大熊町移住定住支援センター、日本酒「帰忘郷」の原料となる酒米を育てる田んぼを見学しました。
大熊町の東日本大震災前の住民数は11,505人。今年7月時点では10,600人と大きく減っていないように見えますが、実際に住んでいるのは千人ほどとされています。そしてその多くが高齢者であり、若い層をいかに呼び込むかが町全体の課題となっています。山崎さんは「SNSやチャットツールを使って、若者が情報を得やすいプラットフォームを整備している」と語りました。
多目的交流スペースのクマプレやゼロカーボンに向けたベンチャーをはじめ多くの企業が参加するインキュベーションセンター、移住者の相談に乗る移住定住支援センターなど大熊町の多岐にわたる取り組みを見学した参加者たち。また、大熊町の若手職員は、風評被害を食い止めたいという思いから、大熊町で育ったお米を使用した「帰忘郷(きぼうきょう)」という日本酒を開発しました。
大熊町ではさらに太陽光パネルの設置によるゼロカーボン化への取り組みも進んでいます。パネルは7,700枚あり、600世帯を賄える量を発電しています。東日本大震災を経て、新しい未来へ進む大熊町の力強い取り組みの数々を感じました。
参加者コメント
7ワンダーファーム
食、収穫、お買い物が楽しめる、注目の「体験型」ファームであるワンダーファーム。オーナーの元木 寛さんから施設の説明を受けた後、トマトの収穫体験、併設された直売所で買い物を楽しみました。
震災前後の変化について、「新しいつながりができた」と語るオーナーの元木さん。「震災前は各自で農業をしている感覚が強く、他の農家のことはあまり興味がありませんでした。でも、震災後に自分の会社はEC販売をやっていたことで首の皮一枚つながった一方で、周りの農家は廃業していく人も少なくなかったんです。その様子を見て、自分だけが儲かってもダメだと思うようになり、今ではお互い情報共有もして、地域全体で高め合えています。最近では生産者同士で集まるようになり、漁師さんと仲良くなってお互いの生産物を贈り合ったりしています。震災は辛かったですが、新しいつながりを作ってくれたと思っています」と参加者たちに今の思いを語りました。
震災は福島のまちに大きな傷跡をのこしましたが、そこから生まれた新しいつながりもあったのです。
参加者コメント
11年前の町並みがそのまま残っていることに衝撃を受けました。私は仙台出身で、現在は岩手県に住んでいるため、震災後の東北の様子は見てきたつもりでしたが、大熊町は他の町とは全然違うと感じました。