どのような経緯でドリームサポート福島を設立されたのか教えてください。

菅野理事

震災当時、あの頃は浜通りから避難された方がいっぱいいらっしゃって。『何か私たちもしないといけないね』ということでボランティアから始まりました。そして、気持ちが醸成されてNPO 法人をつくろうということになりました。2013年3月の頃です

どのような方がドリームサポート福島で活動されているのですか?

菅野理事

私どもドリームサポート福島は、福島商工会議所青年部のOBや現役メンバーで設立しました。飲食店を経営している方や印刷会社の社長、農家の方などいろいろな人に会員になってもらっています

菅野理事と原先生とはどのような事がきっかけで一緒に活動されるようになったのですか?

菅野理事

2016年3月頃だったと記憶していますが、福島県の農産物の風評被害対策に補助金が出ました。その補助金で高校生と何かできないかということで、出身高校でもある福島県立福島高等学校に相談して震災後からワークショップを主催していた原先生をご紹介いただいたことがきっかけです

原先生

私は当時、福島県立福島高等学校に勤務していて、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の担当として生徒たちと福島県内の放射線の状況を調べていました。そして、その取り組みを知った県外の学校との交流なども行っていました。2014年からはフランスの高校生たちとの交流も始まり、渡航費用や食費を含めた滞在費など予算面に頭を痛めていたので、菅野さんからお話をいただいたときは本当に嬉しかったです

高校生を対象としたワークショップを始めたきっかけを教えてください。

原先生

011年からSSHの課題研究として、生徒たちが福島の放射線の状況を調べたりしていました。2014年には、それを知ったフランスの先生から高校生の国際発表会のお誘いを受け、すでに生徒たちが5回フランスで発表しています。2015年には、福島でのワークショップに海外の高校生も参加するようになり、名称も「国際高校生放射線防護ワークショップ」に変更しました。実は、海外の学生たちは福島の状況をもっと詳しく知りたいと思っているようでした。私たちも、学校のホームページに英語で発表をしたりしていなかったので、情報があったとしても海外の方は全く読めない状況だったのです

ワークショップでは、どんな発見がありましたか?

原先生

当初は、福島の現状を見てもらうこと、そしてなるべく一次情報に近づくワークショップにしようと考えていました。しかし参加する多くの高校生はいつもその先を求め、福島の復興に対して強い問題意識を持っていました。例えば、福島第一原子力発電所や中間貯蔵施設を見学したいといった希望です。現状をしっかり把握して復興にどう結びつけるのか。今、自分たちが見たものは現状で、これからどうするのか、というような考え方、展開をするのです。例えば「風評の払拭みたいなこととどう結びつけていけばいいのだろう」「どうやったら本当の福島の姿が伝わるか」というようなことを、いつも生徒たちは考えていました。それは本当に凄いなと思います

菅野理事

情報がどういうものなのかを的確に捉えているということが分かりました。最近は、処理水を海に流すことが問題になっていますけど、それについて反対の子がいたのですが、ワークショップを通じて考えが変わっていく生徒もいて。ちゃんと自分の中で知識を得て、それを咀嚼して、自分の意見として出せるのだな、と私たちが気づかされました

県外や海外の高校生からはどのような反応がありましたか?

原先生

県外や海外で福島について学んでいる生徒は、(福島の)線量の大きさが問題になるほど大きくはないことを知っていました。一方で、時間が経過するほどメディアは話題になることしか報道をしないので、実際の情報が少なく、福島の様子がわからない、福島の人々がこの状況をどのようにして乗り越えようとしているのか、その姿を見たいと言っていました